脳の計算論
ATR人間情報通信研究所 川人 光男
本日は、デビッド・マーが提唱した脳の研究法としての計算論的なアプローチについて説明し、次に私どもが進めてきた運動の計算論的な研究について紹介することにします。
最近、電子技術総合研究所の設楽宗孝博士、河野憲二博士と共同でサルのプルキンエ細胞の発火頻度を解析することにより、私たちの理論を支持するようなデータがえられました。それについても簡単に説明することにします。最後に、私たちの理論の応用の一例としてロボットの見真似による学習を紹介します。具体的な課題として、けん玉を人間がして見せ、それをロボットの視覚系にとりこませ、そこから重要な情報をとりだし、脳の運動制御理論に基づいてロボットに同じことをさせるというものです。
計算理論とは
さて、計算論的神経科学(コンピュテーショナル・ニューロサイエンス)という分野が、この一五年ほどの間にさかんになってきました。これは五○年近い歴史をもっている神経回路モデルの研究が一つの基礎になっていますが、それに計算理論という新しい要素がつけ加わっています。この計算理論は、いわゆる人工知能やコンピュータ・ビジョン、ロボティックスといった計算機科学と深い関係をもっていますが、その基礎となる実験データは主に二つの分野からえることができます。一つは心理物理学であり、もう一つは神経生理学や神経解剖学を含めた高次脳機能の実験的神経科学です。これら二つの分野は実験からの拘束条件を計算理論に与えています。
では、計算理論とは具体的にはどのようなものでしょうか。
デビッド・マーは著書『ビジョン』において、情報処理課題を実行する機械を理解するために必要な水準として三点をあげています。ちなみに、情報処理課題を実行する機械とは、もちろん計算機であってもよいのですが、この場合は脳を意味しています。
さて、もっとも高い水準を計算理論(コンピュテーショナル・セオリー)と呼んでいます。そこでは計算の目標は何か、なぜそれが適切なのか、そしてその実効可能な方略の論理は何かということを問います。
第二の水準は、表現とアルゴリズムのレベルです。ここでは、計算理論をどのようにして実現することができるか、特に入力と出力の表現は何か、そして変換のためのアルゴリズムは何かということを問います。
第三のもっとも低い水準はハードウエアによる実現のレベルで、表現とアルゴリズムがどのようにして物理的に実現されるかということを問います。
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