記憶とネットワーク
東京大学医学部 三品 昌美

 20世紀の前半が物理学の世紀だとすると、後半は生物学の世紀であるといえます。生物についての理解が著しく進んだ時代です。その大きな原動力となったのは、分子生物学です。分子生物学の基本的な考え方は、生命現象を分子レベルで論理的に理解しようということです。遺伝、適応、免疫、がんや発生などの生命現象が分子の言葉でかなり理解できるようになりました。それでは、われわれが日常経験している、考えたり、記憶したり、学習したりするという脳の働きも、分子レベルで理解することが可能なのでしょうか。もし可能ならばどのようにアプローチすればよいのでしょうか。これらの問いかけが研究の出発点となっています。
 ヒトの脳・神経系の働きは一000億ともいわれる神経細胞が形成する膨大な数の回路網によって支えられています。外界からの情報は脳のなかでは神経細胞の活動の時空パターンとして表現されています。脳の情報処理活動はシナプスによって連絡している多数の神経細胞の活動であるわけです。そうすると、脳内に情報が蓄えられるとすれば、それはシナプス伝達が鍵を握っているのではないでしょうか。そもそも記憶・学習にシナプスが関係するのではないかとする見方は一九世紀末に「脳のニューロン説」を唱えたカハールの頃にまで遡ります。この考えは多くの人によって発展させられ、ヘッブにより学習の基本メカニズムはシナプスの伝達効率の変化に基づくとする理論「学習のシナプス仮説」にまで高められました。