はじめに
「脳の世紀」推進会議議長 伊藤 正男

 「脳の世紀」シンポジウムは脳科学の研究者たちが「脳の世紀」推進会議という任意団体をつくって進めてきたキャンペーン活動の1つで、脳科学の重要性を社会の各方面に理解いただくために毎年開催しているものです。本書には、平成9年と10年に開催された第5回、第6回の講演内容をまとめました。
 脳の研究は、本書の内容にも象徴されているように多彩な内容を含んでいます。自然科学としては、原理的な興味の深い領域で、これまで多くの努力が重ねられてきたにもかかわらず、まだ中心に大きな謎が残されています。自然科学最後のフロンティアと称される所以です。1000億といわれるたくさんの神経細胞が密接につながりあい相互作用しながら脳を構築しています。たくさんの神経細胞をただ集めたというのではありません。たいへん精緻で複雑な相互作用の結果、ただの細胞集団では考えられないような新しい性質、働きが生まれてきたのが脳の成立の本質と思われます。複雑系全体が21世紀の新しい大きな科学領域と考えられており、その意味でも、脳科学はまことに興味深い研究領域です。
 「脳の世紀」推進会議は、「脳を知る」、「脳を創る」、「脳を守る」という3つのスローガンをつくりました。本書の内容もそれに沿って構成してあります。「脳を守る」とは、原理的に脳を理解するだけでなく、その知識を治療の困難な多くの脳神経系の予防と治療に生かそうということです。脳の老化の問題にしても同様です。一方、病気や老化の原因を研究することから「脳を知る」こともまた助けられます。「脳を創る」とは、実際の脳を参照しながら似た働きをするコンピュータを創ったり人間に似たロボットを創ることを目指すことですが、そのような大きな夢の実現と同時に、創る立場からの考察が脳を理解することを助けるとの大きな期待もあります。
 これら3つのスローガンは、アリストテレスの「知の三面」という考えとよく一致しています。知には、理解するという面と、知識を基にものごとにかかわり、実践するという面と、新しいものを創り出していくという面があるという、その哲学的な考えと「脳の世紀」のスローガンは一致しているのです。
 本書が脳科学の重要性を社会に広く理解していただくためのよい道しるべになるよう願っています。